Monday, May 2, 2011

お釈迦さまの脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか? (小学館101新書)

Author : 苫米地 英人
Total Page : 192
Publisher : 小学館
Publication Date : 2010-10-01

お釈迦さまの脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか? (小学館101新書)
>> 仏教原理主義では?
私は昨今の「脳科学」を掲げた著書には首をかしげることが多いが、本著者は脳科学でPhDを取得したということで、ある意味興味深く本書を手にとった。しかも脳科学でお釈迦様ときたものだ。



読んだ結果、予想通り著者の稚拙な仏教論及び脳科学(といっていいのか?)が低レベルで融合したものであった。以下に理由を示す。



一、仏説の本質である諸行無常は一切のものは流転し変容するという意味であり、それこそが仏教の偉大な包容力の源であるが、著者は「『真』の仏教は原始仏教」「大乗仏教は偽物」と説く。空の本質から言えば仏教の本質さえ押さえていれば、仏教のあり方(葬儀、妻帯、肉食含む)ですら変わっても当然である。原始仏教のみが仏教であり、数千年の時節を受容しながら変化した各宗派は偽物という考え方は原理主義そのものである。



一、肝心の脳科学の議論がほとんど出てこないが、「最先端の脳科学ではfMRIは使われません」という一説があった。NatureやScienceといった総合学術誌や、その他認知科学の専門誌を少しでも読めばわかるが、fMRIが今日でも重要な解析手法の一つであることは疑いようがない。いったいこの発言の根拠は何だろうか。



一、「クオリア=霊」という記述があるが、いくらなんでもそれでは著者がオカルトとしか思えない。クオリアは「感覚」という解釈は出来ても「霊」とはならないであろう。そもそもまともな科学者なら、「クオリアこそ自我が存在すると勘違いさせる脳の機能であり、釈尊はそれに気づかれたのである」ぐらい言えないものだろうか。



一、葬儀の塩撒きが儒教、道教の影響を受けたものだから云々のくだりがあるが、死の穢れを清める塩という考えは日本古来の死生観でその考え方は神道につながっている。日本においては仏教と神道の垣根が低かったことから仏式の葬儀に穢れ、禊ぎの概念が入り込み、塩を撒くようになったというのが常識的な考えだろう。



一、般若心経の解説のくだり。偽経だという指摘は既知のことであるが解釈、理解度が酷い。「色不異空空不異色」は「万物は流転し、流転するからこそ存在する」と解釈できよう。空は全ての物事を抽象化したものなのだから、如何様にも変化する。文学を無理矢理に数学的な考えで必要十分とか議論するからおかしくなるのである。また経末の陀羅尼の部分であるが、渡辺照宏、中村元ら研究者の解釈があるのにも関わらず無理やりシュメール語とはいい加減にしろと言いたい。科学者なら先達の業績を正当に評価できなければ革新的な研究など出来ないだろうに。いったい天台宗では般若心経は研究もせず、読みもしないのだろうか?



などなど、残念な結果となった。こういう本を研究を本業としていない人間が書くからマトモな脳科学者が白い目でみられるんだよな。。。

敢えて権威に楯突いた根性は評価して星2つとしたい。
>> 仏教にかなり詳しい苫米地氏の仏教書
仏教について書かれた本。

私は今までに20冊くらいの仏教の本を読んできた。

スマナサーラ長老、小池龍之介といった僧侶の書いたものから、中村元、角田泰隆といった学者の本、中論関係の本、経典の和訳などを読んだ。

苫米地英人はなんだか怪しい人だと思っていたが、

私の持っている仏教の知識と、この本に書かれている仏教について書かれた内容は符号したので、仏教に関しては信用できると思った。

苫米地氏は仏教にかなり詳しい。



話題は仏教の根本教義、仏教伝来の歴史、般若心経、上座部仏教(南方仏教、テーラワーダ)、チベット仏教など。

縁起、十二縁起、空、四諦といった、仏教の根本教義について触れられている箇所は、分かりやすく、興味深かった。

特に空の説明は、数学の点を使った説明で、分かりやすく面白い。

苫米地氏には、仏教の根本教義についてさらに詳しく書かかれた仏教書を著してほしい。



ブッダが暗殺されたという苫米地氏の見解も面白かった。

ブッダが鍛冶工チェンダの作ったキノコを食べて、毒に当たって死んだことは、仏教に詳しい人なら知っているが、

苫米地氏はそれが暗殺だという。ブッダの生きた時代背景を考慮しつつ、ブッダの布教活動についてや、暗殺について述べていく。





般若心経が中国の偽経だったという苫米地氏独自の見解も、スマナサーラ長老の「般若心経は間違い?」を読んだ私にとっては、

あながち間違いとも思えなかった。

「ぎゃてい ぎやてい はらぎゃてい」の部分は、シュメール語ではないかという分析も面白い。



苫米地氏のスメール山はヒマラヤではなく、イラクの方にある山だという見解は、

スメールという言葉から推測したものだが、これはやはり、定説どおり、スメール山はヒマラヤではないかと思う。
>> 苫米地氏は何者なのか?
これまで、苫米地氏の話の中でブッダだとか、釈迦だとかが出ていたので、

一度彼の考える仏教について、聞いてみたいと思っていた。



氏はクルト・ゲーデルの不完全定理や量子論をもって「神は存在しないことが証明された」

というのだが、それなのに自身は天台宗で出家しているというし、気功の本なども出していて、

どうも胡散臭い気がしてしまう。



・気功で病気を治すことができるのは事実です。

・癌ですら治ることがあります。

・離れた場所から患者が気づかぬうちに治療できることから、プラシーボ効果

で片づけることもできません



として、気功はありだと。その説明として、

「気功師と患者との間で量子レベルでの通信が行われていて患者の脳に

病気が治るように働きかけているのかもしれません」



って、それこそオカルトでは??

と思うところもある。



一方で、

「釈迦は僧侶が葬儀にかかわることを禁止していた」

「宗教は生きている人間のためにあるべきであり、死んだらただの物質であるというのが仏教の考え方」

「釈迦は文語のサンスクリット語ではなく、口語で(パーリ語)記載」させた



というあたりはへぇーーと興味深く読んだ。



私自身に仏教についての基礎知識がないので、これを読んで仏教論の是非は語れないのだが、

普通に読み物として面白かった。



それにしても、苫米地氏は脳機能学者と言いながら幅広い知識で、読んでいて面白い。





※余談ですが、苫米地氏の著作に最近はまって購入してはレビューを書いていたら

 なぜかレビューがすぐに掲載されなくなった。

 苫米地氏の関係者と思われて、票を上げる人間だと思われたのだろうか。

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